国内ドラマ『虚ろな十字架』第4話(最終話) 感想 | 刑務所で償うのか、人を救いながら償うのか

こんにちは、Dancing Shigekoです!
結末は?
今回は国内ドラマ『虚ろな十字架』第4話(最終話)を紹介します!
[内容]
#4(最終話)
中原は、仁科と会い、直接話を聞いた。そして小夜子に何が起きたのかを知る。
町村の裁判が進む。中原もそこで小夜子についての人物像を語るのだった。
[感想]
中原は仁科と直接会い、小夜子に何が起きたのかを知る。そして町村の裁判では、中原自身 が小夜子について語ることになる。最後まで見て一番残ったのは、「殺人を犯した人に対して、どんな裁きが正しいのか」という答えのない問いだった。
・殺人者に対する罰とは
中原は法廷で、自分も小夜子も娘を殺されたことで人生がおかしくなったと語る。それでも小夜子は、その出来事と必死に向き合いながら前に進もうとしていた。
人を殺した者が15年間刑務所で罰を受け、その後は世の中のどこかで暮らしている。
一つの命を奪い、もう取り戻すことができないことをしても、犯罪者にはセカンドチャンスが与えられる。その仕組みをどう受け止めればいいのか、かなり考えさせられた。
自分が遺族側だったら、相手に死刑を求めるかもしれない。
一方で、事件とは関係のない立場なら、内容次第ではセカンドチャンスがあってもいいと思うかもしれない。
第1話を見た時には、もし自分の娘が殺されたら、自分で相手を殺したいと思うかもしれないと感じていた。
最終話まで見て、その気持ちがなくなったわけではない。ただ、少し揺らいだ。結局、どの立場にいるかで答えが変わるのではないかと思った。
・刑務所で償うのか、医師として償うのか
仁科の妻が問いかける。刑務所で罪を償うのと、罪を背負いながら医師として人を救い続けるのと、どちらがいいのか。
これはなかなかに重たい問いだった。
人を救い続けることが償いになる、という考え方も分かる。
一方で、「医師だから罪が軽くなる」というのもおかしな話に思える。
これも結局、立場が変われば受け止め方も変わるのだろう。刑務所に入ることだけが償いなのか。人を救い続けることを償いと考えていいのか。
簡単には答えを出せなかった。
・本人が認めても起訴できない
仁科は自分の罪を認め、樹海へ行き、赤ちゃんを遺棄した場所まで説明する。ところが、その周辺から遺体は見つからない。
本人が罪を認めているのに、証拠が見つからなければ起訴することができないという。
ここも難しかった。
すでに20年近く時が経っている。
命を奪ったことは事実なのだろうけれど、その事実を知っていたのは関係する二人だけ。そして今は証拠もない。
「本人が認めているのだから裁けばいい」と単純に言える話でもないように思えた。
・答えのない問題だった
全4話を見終えて、一番残ったのは死刑、刑罰、そして殺人の重さだった。
最初は、遺族なら厳しい罰を求めるのが当然ではないかという気持ちが強かった。それでも最後まで見て、少し考えが揺らいだ。
相手がどういう人なのか。何をしてきたのか。何を語るのか。
それによっても受け止め方は変わるのかもしれない。結局、言葉で解決できるかどうかということにも思えた。
もちろん、言葉だけではどうにもならない事件もある。それでも、罰を与えればすべて終わるわけでもなく、許せばいいというものでもない。
答えのない問題だからこそ、最後まで考えさせられた最終話でした!
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それでは、また次回!
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