独り言:クラクションを鳴らしても…
- Dancing Shigeko
- 2024年1月29日
- 読了時間: 2分

こんにちは、Dancing Shigekoです!
帰り道、車がクラクションを鳴らしている。
どうやら道路を横切った自転車がいたみたい。
その様子を見ていて、ふと思う。
「クラクションを鳴らすことで何か変わるのだろうか?」
何もクラクションを鳴らすことを否定しているわけではない。
見かけた時の自転車が、あまりにも飄々としていたものだから、クラクションを鳴らしても、その自転車の人には何も影響しなかったのだと感じた。
そもそもクラクションの目的ってなんだったのだろう?と思い始める。
危険を察知して、その回避?
そうだとすると、自転車が横切って、結果的に反対側まで行ってしまっているのであったら、危険は回避できなかったことにならないか。
渡れたのだから、危険ではなかったのではないか?とも考えられる。
では、そのクラクションは目的を達成できたのか?
危険回避、最終的な大惨事になっていないことを考えたら、クラクションは役だった。
しかし、クラクションを鳴らさなくても、きっと大惨事になっていなかった?と思うと、
鳴らした結果もたらされたのは、周囲への威嚇?驚きだけだったのではないかと?
そして思う、クラクションは何のために鳴らすのか?
その出来事を眺めて自分が出した答えは・・・
「信号を見落としているであろう人が前方に止まっている時に、ささやかな声がけのつもり?」だろうか。
それすらも鳴らさなくても、少しの我慢で全てはうまく回る、と思ったらいらないことなのかも。
何のためにクラクションはあるのか?
皆様はどう思われますか?
それでは、また明日!
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